名所旧跡
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  宗像神社
 
  日本三名園の一つ、岡山の後楽園です。説明によると、岡山藩主池田綱政公が家臣の津田永忠に命じて1687年着工、1700年ほぼ完成。その後も藩主の好みによって少しずつ手が加わったが大きく変わることなく今日に至っているとあります。
   
  後楽園正門です。入るとすぐに平四郎の松が迎えてくれます。
   
  慈眼堂です、池田綱政が藩内の平安と池田家の安泰を願って建立した観音堂です。それを過ぎると茶畑があります。5月の第三日曜日には茶摘み祭が催されているようです。 
   
  新殿です。茶畑を見ることができ角度の違った庭園を楽しむことができる御殿です。幕末のころに建てられたようです。右前方にある建物が流店(りゅうてん)で亭舎の中央に水路を通し、藩主が庭園散策の時の休憩所だったそうです。
   
  昔はいろいろな種類の花木が乱立し滝や水面に映った景色はとても美しいと詩にまで詠まれていた所だそうです。それを眺めることができる位置に茶室が作られていますが、これは幕末の家老の下屋敷にあった利休堂を明治20年頃移築したものだそうです。
   
  旭川から取り入れられた水は花交の滝、花交の池を経て旭川に戻るのだそうです。ぐるっと回ると、ソテツ畑があります、桃山時代から異国を感じる植物として庭木に喜ばれていたようでここ後楽園でも造園された当初からソテツが植えられていたようです。
 
  ひとまず後楽園を出て岡山城「烏城(うじょう)」へ、開府、宇喜多直家、岡山城初代、宇喜多秀家、二代、小早川秀秋と続き三代目から池田家になり、後楽園を作った綱政は六代目です。
 
  宇喜多秀家が築城した時は瓦に金を施していたこともあり金烏城(きんうじょう)と呼ばれたいたそうです。
 
  天守閣からの後楽園です。公園を取り囲む木々が大きくなり、殿様が最初に見た風景とは違うかもしれませんが、造園直後の景色は今でいうとドローンで空撮したような景色だったに違いありません。
   
  城から再び後楽園に入り散策すると能舞台、栄唱の間があり、延養亭へと続きます。この延養亭は後楽園内外が一望できるベストビューポイントだそうで来賓などをもてなした建物だそうです。
 一国一城の主の精神、思想、嗜好が凝縮されたような庭園でした。現代社会にもこの時代のテーストが少し欲しいと思いながら園を後にしました。
 
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後楽園、岡山城
 岡山県岡山市2018年05月27日