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藤堂高虎公によって築城されました。当時では珍しく平地で海に直接出入りできる堀を持つ機能を重視した都市型のお城だったようです。今日ではお城の前の海は埋立てられ直接堀から海に出入りすることはできませんが海水流入門があり今でもお堀の水は海水なのだそうです。築城された当時は洋上に浮かぶお城に見えたようです。 |
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鉄御門(くろがねごもん)の前にお城は明治4~5年に撤去され昭和55年から今日まで写真、古文書により復元した経緯の説明があります。 |
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鉄御門をくぐり中に入るとお城の案内図がありそれに沿って天守閣に進みます。 |
天守閣からの眺めです。お城は南向きではありません。左から北西の景色です、次いで北東、東南、南西です。 |
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城内にある吹揚神社をお参りして、御金櫓、山里櫓、武具櫓を回り城内一周となります。 |
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最後に藤堂高虎公の像です。築城当初のままの建物、海に隣接し海から出入りできる状態で今日まで残されていたら…、とあれこれ思いながらのお城見学となりました。
鉄御門(くろがねごもん)や櫓などは市民の寄付などで再建されたのだそうです。 |

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